私にとって、若松監督はいわば映像の世界での親のようなもの。

前回のメイキング後から作り始めた私の初の長編、
「半身反義」のスタッフも、若松組で知り合った方に
たくさん助けていただいています。
そして偶然なのか必然なのか、私が取り上げようとしていた時代も、
やはり1960−70年代の日本だったのです。

第一、私財を投げ打って、70にしてバクチを打とうなんて、
こんなおかしな人はそうそういません。
連合赤軍」を映画にしようという試み自体、とてもリスキーな
ことは、若松監督自身が嫌という程、自覚してるに違いありません。

メイキングだろうが、何だろうが、できるだけ援護射撃するしかない、
そう思ったのでした。